今日の日経

ここでは、日経で気になった記事についての雑感をまとめています。

2001年

2001/08/25

この日、5 面にすごい記事が出ています。経済学の教科書を並べて 読むと、理解が一層深まって非常に有益です。たぶん、教科書とならべて金解 禁と昭和恐慌の話を併せて読むと、さらに有益になります。

2001/09/03

今日の朝刊 2 面にある伊奈久喜編集委員の「風見鶏」は秀作です。付け焼刃 な Balance of Power に基いた面白い意見が述べられています。近代 民主主義に世界の流れが收斂しようとしている 21 世紀に、宮廷革命が世界に 影響を及ぼしているという image に取り付かれているという意味で、アンモ ナイトやシーラカンス的な価値があります。
ただ、おしむらくは宮廷詩人にしては、ちょっとセンスが悪いことがあります。 これじゃ時代遅れな事大主義な人、たとえば黄禍論をさんざんぶったドイツ皇 帝ヴィルヘルム4世くらいしか喜びません。

なお、それをめくって 5 面の日本電産の社長のインタビューがあります。こ れは、読む価値ありです。経済の本質を一端で突いています。8 面くらいにあっ た、アメリカの会計基準(実質利益とか)が、実はバラバラで調子の良い数字が 取捨選択されて使用される傾向がある、という記事もなかなか面白いです。日々 、日本の会計基準が云々という話は良く見ますが、アメリカの方で実は同じよ うなものなんだ、ということが認識できました。

この日は、夕刊も収穫たっぷりです。まず、夕刊の特集が始まりました。「改 革」について云々だそうです。「小泉改革」のメッキが剥れていく、これから の日々、特集の最初と最後で辻褄があうのでしょうか?他人事ながら心配に なってしまいます。とくに、夕刊の特集は息が長いだけに楽しみです。
15 面の「知るスポーツ」の「今どき快適寮生活」の最後が秀逸です。

ハングリーさとは無縁の寮生活。同じ"マイナー" でも「ハンバーガーリーグ」 と呼ばれるほど食事も質素な米国の生活には耐えられそうもないという選手に は、日本の球団がお薦めと言えそうだ。
もしかして、皮肉のつもりですか?

2001/09/5

この日の夕刊の「ニュースなるほど」(編集委員山崎宏氏の文)には、すごいこ とが書いてあります。
住宅ローンを抱える世帯は全体の38%。所得が伸び悩むなかでローンが、最大 の需要項目である個人消費の足かせになっている。
やや乱暴な言い方をすれば、住宅公庫の融資枠を拡充して借金を勧めた結果、 消費不振を招いたという批判も出来なくない。
乱暴すぎます :-)。

さらに続きます。

所得の右肩上がりお増加が見込めた時代はともかく、景気対策の観点だけで、 住宅取得を促すことには疑問もある。民業圧迫といわれるほどシェアを持つ住 宅公庫を使って住宅の量を追及するのは限界がある。
私も、住宅政策を景気対策として使うことは本末転倒だと考えます。衣食住と いう社会生活を営むにあたっての最重要な 3 要素の一つである住宅政策を、 景気対策という観点でしか取り扱うことができないのは、日本の住宅事情の貧 しさを反映する象徴とも言えるでしょう。同じように、「民業圧迫だ」とかい う粗雑な断定によって論難を試みるのも、貧しさを垣間見ます。

2001/09/10

この日の夕刊から、アメリカのシティグループの前会長のジョン・リード氏が 「人間発見」で紹介されています。80 年代末のアメリカで起きた複合不況に 直面した経営者らしく、非常に興味ある発言をしています。
(不良債権問題に取り組む)邦銀幹部の方に申し上げられるのは問題をきちんと 認識すべきだということです。実はそれが最も難しい。経済が下向きの日本で は得に難しいと思います。不良債権の実態を確実に把握し、切り離し、そして 政府ではなく市場から資金調達することです。そうして初めて問題解決につな がっていくでしょう。
公的資金注入を盛んに主張する、日経の記者の方。80 年代シティグループを 再生させた、この人の発言をどう理解するのでしょうか?

2001/09/17

先日アメリカで卑劣なテロが行なわれました。社会の公正と自由に対する重大 な挑戦として、徹底的な犯人の追及と再発防止のための犯罪集団を公明正大に 断罪していくことを私も強く願います。真相解明を曖昧にして「報復」などと いう曖昧な「解決」をすべき問題ではありません。そういう「解決」は、テロ 集団を喜ばせるだけです。

さて、この日の朝刊「風見鶏」で、あの伊奈編集委員がまたやってくれました。 「ワシントンの首都、ワシントン」と言ってくれた NHK ワシントン支局の手 嶋支局長とならんで目を離させてくれません。

世界最強の国である米国との対立を恐れ、中国もロシアも多くのアラブ諸国も 何らかの形で反テロ共同戦線に加わる。テロリストはいなくならないが、支持 基盤は弱くなり、起こしたテロに対する国際的な反撃は強力になる。
今回のテロで多くの国がテロを批判する声明を挙げたのは、テロが人類に対す る卑劣な挑戦だからです。「アメリカが怖い」からなんていうケチな理由だっ たら、ここまで世界世論は統一されません。ブッシュ政権になってから打ち出 された、ABM 制限条約廃棄や、京都議定書離脱などの人類に対する裏切り行為 に対して「怖い」なんていう理由で反対の声を止めたのは、あったとしても日 本政府くらいなもんです。こういう、80 年代盛んに喧伝され(その割に外れま くっていた)Balance of Power の発想、「三子の魂、百まで」とばかりに頭か ら抜けきらないのでしょうか。

まだ筆は快調に進んでいきます。

こうした議論には、報復は報復を呼ぶとする反対論が返ってくる。報復を控え ればテロがなくなる保証があれば、これには正当性があるが、現実は逆だろう。
アメリカは 1998 年に「報復」と称してスーダン・アフガニスタンに攻撃をし かけています。湾岸戦争後も「報復」と称してイラクに空爆を何回もしかけて います。それでも今回のテロは起きましたし、イラクは世界の大勢に反してテ ロを煽る挑発的な発言をしました。これを見ても、まだ「正当性」なるものを 認めるなら、相異点をあげて、さらにそれを論理的に示す必要があるはずです。

でも、伊奈編集委員の筆は快調に、より滑りを増していきます。

例えば自衛隊が米軍基地の警備をできるように法改正をしても、…
あの〜、日米安保条約はなんのためにあるのですか?在日米軍基地は、なんの ためにあるのですか?

2001/10/14

最近忙しくて日経をそうそう読めませんでした。今日、やっとひさしぶりに読 みました。やっぱり、かっとばしています。とりあえず、ヒーロー伊奈久喜編 集委員が 1 面右で軽いジャブを演じています。いつも思いますが、この人に とって「失なわれた 10 年」とは、日本国憲法が存在するが「故」に起きたの でしょう。「日本人は他罰的である」という表現は、河合京大名誉教授の著書 にありますが、それを地で行っているという意味で、彼は典型的な日本人です ね。自らを省みることなく、他を責める。これでは人類進化しません。伊奈先 生は、進化したくないのでしょうか?

でも、これはジャブなのです。もうちょっと楽しいのが、その記事の裏にある 社説「グローバル経済の再生に立ち上がれ」です。

今回のテロで図らずも見えたのがグローバル経済の脆弱性です。そして少し考 えたら分かることですが、この脆弱性はテロが故に露見したのは事実ですが、 テロでなくても発生する可能性があることなのです。たとえば、今回問題になっ ているのが、たとえば通関にかなりの時間が裂かれるようになったことがあり ます。これはある意味で必然的なことですが、実はこれ強い感染性を持つ「謎 の風土病」であっても同じことが起きるということがわかります。つまり今回 の事件は、テロがきっかけになったのは事実にしても、最大の問題は国家とし てのリスク管理という概念さえも超越するグローバル経済化というものが果し て存在できるのでしょうか?ということにあるとみた方が、しっくりきます。 言い換えるなら「理念」としてのグローバル経済化は、どこまで「実体化」で きるのか?ということでしょうか。

ここで、人類はどのような回答を与えるのでしょうか?。まさか "Infinite Globalization" という訳にはいかないでしょう。思えば 1 世紀ほどまえの19 世紀、マルクスが資本主義経済の仕組を解明し、そして 20 世紀ケインズが それまでの「恐慌の経済」から人類を解放する道標を提示しました。 今回も同じでしょう。つまり、長い時間をかけて、しかし着実な道標を与える、 それが 21 世紀の経済学の重要な課題の一つとなることは間違いないでしょう。 たぶん、今の "WTO" は回答ではありません。一緒に飲込まれていますから。

でも、残念ながらこの記事は勇ましく進軍ラッパは吹いてくれますが、進む方 向については何も語ってくれません。ただ、ハーメルンの笛吹き宜しくただ人 を向かわしめるだけです。進軍ラッパに疑問を持たせさえしてくれそうにあり ません。多分、数年後彼らは沈んだ人達を踏みつけて、またまた御用進軍ラッ パを吹きならしていることでしょう。

めくって 7 面「寸言」です。ここで吉野屋 D&C 社長の発言が紹介され ています。

中間決算を発表した九日の記者会見では狂牛病に関する質問が相次いだ。これ に対し「学校給食で牛肉の取り扱いをやめるなど、この数週間のエキセントリッ クな動きが消費者の心理的な不安を増幅させている」と、行政の対応に不満を あらわにした。
なんで、ここで「行政」が出てくるのでしょうか?。「牛肉を使うと不安だ」 といいのは社長の言うとおり行き過ぎであることは私も理解します。しかし同 時に狂牛病の感染性は牛肉の解体処理などの仕方によって変動し、感染につい てはある程度の未知な部分があることも併せて理解する必要があります。そう いう意味で今回の学校給食での対応は 96 年のカイワレ大根に関する措置と同 じように、「これ以上被害を広めない。広める可能性のあるものは、広めない ということが分かるまでは取り扱わない」という危機管理的な発想であると理 解することができます。問題が無いことが分かれば徐々に解除していくだけで しょう。

この記事、私には「公務員に責任を擦りつけておけばスポンサーからいびられ ることもないだろう」というケチなサラリーマン根性しか見えません。もし、 20 年後に「給食で出された牛肉を持って BSE に感染した。これは、行政の対 応を "不安を増幅させている" といって揶揄した日本経済新聞と、それに流さ れて実際のリスク管理を怠った行政の責任である。」という訴訟がたてられた 時、どのような意見を提示してくれるのでしょうか?。まさか「怠慢行政、再 度傷を広げる」「繰り返される厚労省の怠慢」なんていう破廉恥な見出しをた てるということはないですよね?

つつきがいのある記事は、もうちょっとあります。9 面「経営の視点」です。

この点で、テロの打撃を受けてから武力行使まで一ヶ月もかからなかった米国 の動きは一つの参考になる。
私に言わせると、今回の武力行使は最悪です。理由は 2 つあります。
一つは、今回の武力行使がアメリカの大国主義を背景として、犯人を実際に究 明し国際社会にテロの不当性を訴えるという "Due Proccess" を軽視している ことです。この報いは、武力行使が長引けば長引くほどボディーブローのよう にアメリカの威信を傷付けることになるでしょう。
もう一つは、今回の武力行使の具体的な目的が不明確な点です。たしかに「御 題目」はいくらでも立っています。でも、実際にどうやったら武力行使が終わ りになるのか?ということが、非常に曖昧です。世界がアメリカに対して支持 を表明できるのは、オサマ・ビンラディンの逮捕まででしょう。タリバーン政 権の崩壊となると、かなりの国が支持を再検討することは間違いないでしょう。 少なくとも民主主義国家なら、自らの国にテロや爆弾攻撃をしかけてきた連中 *ではない* タリバーン政権の崩壊のために自国民の命を犠牲にするかもしれ ないなんていうことを、そうそう説得できるとは思えないからです。
しかしブッシュ大統領のやっていることは、具体的な戦争の収束条件を提示や それに向った解決の方向への動きではなく、まったく逆の問題を広げようとす ることばかりです。たとえば 10/14 までに聞こえてきたのは、オサマ・ビン ラディンの逮捕に向けての具体的な戦略ではなく、今回のテロを理由としたイ ラクやシリア(シリアは今回のテロに対して非難声明を挙げているにもかかわ らず!)への空爆の主張だったのです。本当に問題を収束・解決に導くつもり があるのですか?という質問をしたくなってしまいます。
本当にこんなのが「経営の視点」になるんですか?。かっかと感情的な決定を、 冷静になる時間もとらずに、そして一回手を振り上げてしまったけど収束の仕 方に困って、とりあえず問題を横に逸らして解決までに時間稼ぎをする。こん なことをするのが、本当に「優良な経営者」なのですか?良くて大局的で冷静 な判断が出来ないワンマン社長、悪くてベンチャー投資家から金をせしめとろ うとする詐欺師にしか見えないのですが。

なお、上の話のキーワードをちょっと変えるだけで、今をときめく某社のお話 になってしまうところが楽しいですね。たとえば、

まあ、詐欺師とかペテン師の手合がやる典型的な方法ということですかね。

2007年

ちょっと間が空きました。でも、日経が誉め囃した "金融工学" を駆使した CDO が世界市場を破綻に導こうとしている現在書かない訳には行きません。ち なみに、"伊奈" 先生に関しては日経テレコンで追跡できることを確認したの で、とりあえず後回し。まあ、後から見ても、面白いものは面白いものですか ら。

民力アジア 2007/11/23

面倒なので中味読んでいません。読むべき内容でも無いでしょう。日経ならで はの安心感です。
さて面白いのは見出し。
「宗教・言語 壁破り成長」
ベルリンの壁は当時の東独の人によって、まさに乗り越えられました。そして 当時のクレンツ政権は実効を失いモドロウ政権になり、その後消えさりました。 今にして思えば、そこにあったのはまさに壁を乗り越えるという "イノベーショ ン" でした。そして、それが出来たのは、壁を打ち破るではなく、壁を乗り越 えた人達によってです。
さて戻って、今のアメリカの通貨乱発の、それこそ第一次世界大戦後のドイツ みたいな状況です。こういうペテンによって、どれだけの人が胡麻化せるので しょうか?まだ、「壁を壊す」パラダイムで、胡麻化せるのでしょうか?
いや、そんなことはどうでも良いでしょう。そもそも、現時点においては、既 に宗教は本質的な「壁」ではありません。だって、"仏教" 信者が一番多い日 本、良く分からない中国、キリスト教の韓国、イスラームの人が沢山いるマレー シアやインドネシア。いずれも日本企業が、隨分前から市場開拓などを図って いる国です。少なくとも日本の企業にとって、「宗教」も「言語」も壁じゃあ りません。もちろん、「壁」を壊したんじゃありません。乗り越えたのです。 だれも何も言っていません。当然です。当たり前の行動だったからです。
そんなのを「壁」と言い、血気盛んに「壊せ」とかいうのは、「壁」というも のの実態を知らない人だから言える、愚かな言葉でしかありません。戦前、大 本営はどうだったか知りませんが、すくなくともマスコミは、かような無責任 な言質を吐きまくっていました。なんか、それを思い出しますね。
今のような局面でも日経の人は、未だに 20 世紀のパラダイムを抜け切れて いないようです。こういう人にこそ、「構造改革」が必要ですね。

ああ、もしかして情報を持っていない人を嵌め込むために、そう書いているの なら、申し訳ありません。ただ、そうなら、是非とも新聞の一面の目立つとこ ろに、「個人をはめ込む紙面を構築しています。」と書いてください。 御互いの幸せのために。
ときに、面 白いページがあることを発見しました。
まさか都合が悪くなったら消すようなことは、しないでしょうが。壊した「壁」 の検証を出来るようにするのもジャーナリズムの重大な仕事ですからね。


思い出の日経

2000年

マイクロガスタービン

熱力学法則の一つである「エントロピー増大の法則」は、小さい熱機関が沢山 あるより大きな熱機関が一つある方が効率が良いことを指摘しています。地球 温暖化と資源枯渇が必ず問題となるであろう 21 世紀、どうして CO2 をばら まき、熱力学法則に挑むようなマイクロガスタービンが「地球温暖化の切札」 になるのかが正直不思議でした。その疑問は解消されることなく、マイクロガ スタービンという言葉が解消してしまったようです。

Co-generation とかは、省エネルギーのための重要な手だとは思います。でも、 普通の家庭にマイクロガスタービンが置いてあったとしても co-generation 効率が良くなるとは思えません。たとえば日本の家庭では、始終温水を使うこ とは滅多にありません。でも、電気は始終使っています。マイクロガスタービ ンでは、この始終使っている電気を起こすために、始終「コジェネ」用の加熱 をすることになります。通常のガス風呂と東京電力の電力を併用した方が、効 率が良さそうな気がしてなりません。

この言葉は、もっともマイクロガスタービンを売り込むチャンスだった、2000 年後半から 2001 年前半のカルフォルニア州の停電の際に見向きもされなかっ たことをもって、完全に引導をつきつけられた模様です。

ネット〜

たとえば「〜革命」「〜時代」「〜が変える新世紀」など。

ビジネスモデル特許

2001 年 9 月時点で、ほとんど聞かれなくなってしまいました。日本では審査 が本格化する時期だと思うのですが。

1999年

収穫逓増の法則

2001 年の今「XPへの感心は予想以上に低い」(日本経済新聞01/10/13 11 面) そうです。「新たな」法則性は、どこに行ってしまったのでしょうか?。

「負け組・勝ち組」

このころ日経は、「勝ち組・負け組」という言葉をよく使っていました。「大 胆なリストラ」ということで、首切をして、事業縮小をしている会社が誉めあ げられたりしていました。また、決算が黒字にあると勝ち組になっていたりし ました。光通信とかソフトバンクとか、2001 年現在今をときめく会社(笑)が 勝ち組になっていたことも思い出深いものがあります。

当時から、私はこの言葉が事実を単純化しすぎているが故に浮ついた使われ方 をしていること、そして非常に短いスパンでの評価をもって「勝ち負け」と粗 雑に決め付けている浅薄さに、正直へき易していました。 大きな花火をあげたとしても、次の花火を打ち上げられなければ、勝ちとは言 えません。一回の花火を挙げるのは、詐欺師でも出来るからです。

でも、彼らは当時「花火を上げたら勝ち、花火を準備している奴は上げていな い奴だから負け、花火を上げないやつ(上げられない、とは限らない)は負け」 と、阿波踊り真っ青な論理をふりかざしていました。

「彼らは、単に今をときめく連中に御追従を述べているだけでは?。あえて言 うなら、競馬で勝馬を評論しているだけなんではないだろうか?」「彼らは、 勝馬を『説明』することはいくらでもしている、でも次の勝馬の預言はしてい ないし、したとしても大外ればっかりだ。」
これが、私が当時もっていた卒直な印象です。

私は当時、「勝ち組・負け組」データベースを作ると面白いのでは?と思って いました。しかけは単純です、毎日勝ち組として使われた言葉と、負け組とし て使われた言葉を、使用されている日付けと一緒に保存するだけです。単純な 構造にすればするほど、彼らのような薄っぺらい「勝ち負け判断」とその見識 の無さが浮き彫りになるはずです。

でも、残念ながらこのデータベースは作成されませんでした。理由の一つは、 私が忙しくなったからです。そして、もう一つの理由は「勝ち組・負け組」と いう言葉自体が消えていってしまったからです。さすがに私も「勝ち組・負け 組」データベースの最後を、その言葉自身が飾ることになるとは思いも至りま せんでした。まだまだ、修行が足りませんね。

余談

ある会社のおはなしです。一ヶ月の新人研修が終った新入社員に向けて重役が 色々講話をしました。話の中で最後にすごく印象深い言葉を述べました。

「きみたちに言いたいことの一つは新聞を読みなさい、ということです。日本 経済新聞を読みなさい。」

それを聞いていたある一人、前から日経に興味があったので、それを機会に読 み始めることにしました。それまでに読んでいた新聞、たとえば朝日のように 鼻をつく「正論」、毎日のように当らない政治経済の分析、もういい加減金を 払う気が失せていました。「ビジネスマンの教科書」とも呼ばれている新聞 「日本経済新聞」。『書いている分野が経済に重点が置かれているから、今迄 の新聞とは勝手が違うだろう、でも、教科書とまで呼ばれる新聞、絶対読み応 えがあるはず』と思っていたからです。

でも読んでいると、何か違和感があります。なにか変なのです。たしかに朝日 や毎日のように、記者の稚拙な論理やどっちつかずの態度が丸見えになるよう な記事は多くはありません。でも、議論のどこかに稚拙さを感じてしまうので す。結論がおかしい、議論の設定場所がずれている、論理が飛躍している。稚 拙感の出発点となる違和感の場所は色々あります。ただ、その違和感をどう説 明していいのかが分からないまま、しばらく読んでいました。
そして気が附きました。日経も朝日レベルなのです。ただ違うのは、記者が中 立をたもとうという欺瞞的な姿勢が見える前者に対して、日経は自信をもって 稚拙な記事を書いている、それだけなのです。どっちも、笑いをとるには、十 分なのですが、真面目に読むには耐えません。正直、お金を払うのをためらっ てしまう時もないわけではありません。

それでも新聞を取り続ける価値があります。そうです日経を Newspaper と思 わずに、20 世紀から 21 世紀日本という国で広く流布されることになる Caricature 、つまり今の日本を映す将来への貴重な遺産ということを理解し て読めば良めばよいのです。鎌倉時代の御家人竹崎季長は、自らの成果を示す ために蒙古襲来絵巻をつくりました。そして、7世紀以上経った今、その資料 は本人の意図を大きく越え、当時の日本を映す貴重な遺産となっています。と りあえず価値判断は最小限にしましょう。とにかく、残すことが重要なのです。 時間の力は強力です。記録さえ残っていれば、本人の意図、王様の意図、権力 者の意図といったような問題は全て客観視され、ただ原因と結果のみが抽出さ れます。そして、後世の人達に糧となるのです。

20 世紀「失なわれた 10 年」などといって、ことどとく評論家的な姿勢をと る集団が存在し、当たらない「預言」を繰り返した。こういう「恐怖屋」が世 の中を濶歩するなんていう面白い世の中は、歴史上をひっくり返してもそうそ う来ているわけではありません。というか、大衆に訴えるマスコミの歴史なん ていうものがそれほど無いだけに、未だに人類は Frontier にいるのです。

アメリカの Frontier の開拓の歴史は "Frotier は消滅した" 宣言が出されて 始めてその真実の姿を表わしてきました。そして、インディアンの殲滅のよう な暗黒の歴史と共に、ヨーロッパ世界の夢を貪欲に吸収した北アメリカ大陸の 悲喜交々も見ることができるようになったのです。Frontier では、走ること に精一杯なので、とても周囲に気を払ってられません。できるのは、日記をつ けることだけです。でも、その日記こそが全てを映しだす鏡となって、世界の 面白い姿を映し出してくれるのです。

清沢冽の「暗黒日記」の中で盛んにその愚を指摘されている徳富蘇峰「先生」 とかの「日本主義」。今では、我々はその姿をなかなか認識できません。時代 の流れは、愚とされたものは静かに葬っていきます。どうしても、我々は目の 前にある「愚」を見るしかないのです。でも「愚」は「愚」であることはなか なか認識できません。同時代に生きるが故の難しさでしょうか。だからこそ 「愚」であるものを直覚できるものを、そのままで見ることが出来るのは、と ても幸福なことでしょう。そして、それを漬物のようにつけておいてみたら、 いよいよ深みのある理解が出来るようになることは間違いないでしょう。

今の「恐怖屋」の台頭。これも、後世の歴史家が 20 世紀を見るときに、とて も重要な切口になるはずです。そして、「恐怖屋」の商売実績はそれを追い掛 ける時、必ず有益な情報となるはずです。それは「嘲笑」とも言えない「失笑」 を含んで読まなくてはいけない「面白い」文章になるかもしれません。でも、 まあ良いじゃないですか、真実が故に面白くためになるんだったら、それも人 類に対する貢献なのです。嘘をついて虚妄の姿なんて、葬式と結婚式だけで十 分。

じゃあ、面白いものを読むためには何をなすべきか?。なんていうことありま せん。残しておく、これだけ良いのです。竹崎季長よりお金がかからない方法 で、歴史に参加できる。こんな楽しいことはありません。止める理由なんてど こにもありません(笑)


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Last modified: Sun Nov 25 23:45:55 JST 2007